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◆私が描こうとするもの

私はただ、自然が持つ静謐さ荘厳さ、普遍的な循環に惹かれるのです。

そして色から形から形成されるリズム、

自然の形をヒントに画面の中で再構築された形から生まれる緊張感を作り出すこと、偶発的に見える画面、綿密に構築した画面と相反する表現を混雑しながら描くことをしています。

 私が題材として扱っているのは草花の景色から始まっています。

しかし、一概に景色といっても画面に木々が分かりやすく配置されて

いるわけではありません。題材=表現したいものではないのです。

人は見えるもの=視覚的要素で認識できるものを優先的に脳で理解しようとします。

そうすると私の絵はより分かりにくく曖昧で「地」に足がつかない絵と解釈できるかも

しれません。

 私が形を取り出す行為の基礎というものは、日常のドローイングがあります。

その中でも光があたり影ができ、その影の形やその光の間に挟まれ浮き出る形に目がいくのです。そこにまた画面に定着する行為を積み重ねていくこと。

画面を構築することを行っています。その構築の元には 草花や木々のスケッチやドローイングの積み重ねによって、自らの中に貯めこんだものを吐き出すように描く行為で成り立っています。

◆2019 6/25~6/30  『Light and shadows』 

EXHIBION BY GALLERY KEI-FU   

ーStatementeー

 私は、今回の個展のテ―マとして光を影というところにスポットを当てて制作をした。

光は影があるから存在し、影は光があるから存在します、それは表裏一体と言えます。

 光が存在するからこそ、そこに影が写し出され形が浮き上がり、光の強さによっては有機物のようにゆらゆらと境界線が曖昧に映し出されます。幾重の光の連なりによって影ができ、影の形を変容させるのは光が握っているようで、実はそうではないのではないか、私が絵を描いているのは形を追っているようで、光と影の形を追っているといいかもしれません。

​ 私はその光の中に存在する陰り、陰りの中にある光の存在というものを形や色で表したいと考えました。

光の形、影の形というその「形」だが、主に題材としているものは風景から始まっています。

一概に風景といっても木々が画面に分りやすく配置されてあるわけではありません。

 私は自然の形をヒントに森の気配、木々がざわざわと鳴り音の在り方、何年もそこに在り続けていくものと相反して刻々と変容する様子にそこには自然の時間軸と人間の時間軸の大きな流れをみると、人間の時間軸はなんと小さな一点でしかないということを実感するのです。

 私は自然が持つ荘厳さの裏にある儚さ、静謐さ、普遍的な循環に心惹かれ画面の中で再構築された形から生まれる緊張感をつくりたいと思うのです。

◆2019 11/2~11/4 SAEKA KUWANO PAINTING WORKS

Vories Old Post Office Buiiding in Imazu

ーStatementeー

 私の作品づくりの始まりは風景や草花です。

自然の形象から網羅に溶け込んだ意識と無意識の狭間にある感覚を大事にして描いています。

 光の形、影の形、その「形」ですが一概に風景といっても木々などが画面にわかりやすく配置されているわけではありません。

 私はそこに存在する自然の象形、木々がざわざわと鳴る音の在り方の気配に惹かれるのです。

そして、木々が何年もそこに在り続け刻々と変容する様子にそこには自然の時間軸と人間の時間軸の差異を感じ得ます。そのような自然が持つ荘厳さの裏にある儚さ、静謐さ、普遍的な循環というものに心惹かれ私はそれを表現したいと思うのです。

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